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エヴァ26話まで見ましたよ。
ネット回線の調子が悪いようなので…
24~26話はツタヤでDVD借りてきて見ました。

リアルタイムで回線速度を表示してくれるツール使ってるんですが、
8月入ってから2.0Mbps以上になったことないし(;´∀`)

エヴァって未完結だったんですかね?
それとも、意図的に?

そもそも、アニメとか歌とかって人間が生きるのに必要ないものじゃないですか?
なのに、何故それらに需要があるのでしょうかね?

エヴァの場合だと…
作者がアニメという媒体を利用して自分の意思を人々に伝えようとしている。
そこで「作者=アニメ」という概念が発生するが、
人々は作者ではなく、アニメという媒体に魅了される。
それだと、アニメは作者の手を離れ、作者とは別の存在に変化する。

アニメから作者を感じとろうとする人がどれ位いるだろうか?

人の心理は不思議だ。

アニメはただの飾りと考え、その中枢にいる作者と対話しようとするのか…
アニメを独立したモノと考え、アニメだけと対話しようとするのか…

どっちが優位とかではなく、人それぞれによって違う。
もっと違うケースもあるだろう…

エヴァの最期のエンディング曲を堪能しながらそんなコトを考えていた。
エヴァの作者にもっと語られてみたいと思った。
いつもの悪い癖でそれが「優位」だと考えたくなる。
しかし、その中に自分の価値を見出そうとしている俺がいる。
これで良いのだろうか?

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